はじめに
ライターのMARIです。お久しぶりです。今回は日本のスティールパン奏者、原田芳宏さんへインタビューをしました。 私が原田さんに会ったのはいつだろう?と考えても、いつ会ったのか思いだせません。
ただどこにいても人目をひくオーラの人で、ある日の友人のリサイタルに行くと、原田さんも鑑賞しに訪れていました。 その日の彼は、毛皮のコートを来てモデルの様にニコニコしながら歩いて会場に入っていく姿は、只者ではない・・・・そう思わせる風格があり、独特な原田ワールドをまとっていて、なんともかっこいい! なんか、、、、イケてる。そう強く思ったのは覚えています。
そんな素敵な原田さんにスティールパンの様々なことをインタビューさせて頂きました。
〜これは、俺がやる楽器スティールパン〜
まり)スティールパンとの出会いはどんな出会いだったのですか?
原田)
スティールパンとの出会いは1980年代に自分の求めている音楽を探しに行った旅先のNYのマンハッタンで出会いました。
当時の日本は、本物の音楽というものはあまり無くて、時々来日する海外アーティストくらいでね、また輸入盤屋は渋谷のタワレコとシスコくらいの時代でしたね。
マンハッタンの道でスティールパンを初めて観て、触れた瞬間に
「これは俺がやる楽器だ」と瞬間的に感じました。
その時には既に、やるべきことが湧いてきてそれを現在でも続けている感じかな。
その時出会った演奏をしていた叔父さんからスティールパンを購入しようとしたんですけど、当時の飛行機の関係や、購入ルートなどがなくて、輸入できなかったんですよね。
なので、帰国後に日本から楽器屋さんに相談して当時の西ドイツから購入しました。
日本でスティールパンを手に入れるまで2年くらいかけて、トリニダードスタイルのパンを手に入れるまで2年かかっているので4年かかったよね
まり)日本で原田さんは日本でスティールパンを輸入して広めた第一人者と言われているのですが、真相は?
原田)
1996年にトリニダード・トバゴにスティールパンを叩きに行ったんですよね。
僕は、日本人で初めてスティールパンを輸入したのではなく、
「スティールパンをトリニダードで叩く!パノラマに参加する!」という目的で行った初めての日本人が僕なんですよね。
だから、スティールパンを初めて日本に輸入したのでは無いですよ。
まり)原田さんに会った現地の人はどんな反応でしたか?
原田)パンベリーというスティールパンバンドに受け入れてもらって、当時の現地では「スティールパンを叩きにきた変な日本人が来た」と噂になりました。
その年のパノラマに出場することができて、決勝戦まで勝ちすすみましたよ。ははは〜
とにかくエアメールの時代だから、連絡取るもの大変でしたよ。電話通じないしね!(笑)
まり)初めてのトリニダード・トバゴに到着した時はどうでしたか?やはり、自分はこの地だ! という何かビビビッと来たものがありましたか?
原田)うーん、そういうのは無かったですね。パンケーキというトリオのチームで既に日本デビューを既にしていたので、アーティストとして
「俺は天才だ!できないことはない!」と、調子に乗っている時期にトリニダードに行ったので、現地に到着した時は滑走路もボコボコで人も全然いなくて「すげーとこ来ちまったな」と思ったよー(笑)
ポートオフスペインのダウンタウンの方へ行く既も知らずに体一つで行ったんだよね。だから、空港からどうすればいいのか?
何も誰も連絡取れなくて、一つだけAlicia's Guest Houseを1週間だけ予約をしていたので、空港からタクシーにポートオブスペインにあるAlicia's Guest Houseに行ってくれと伝えたら「わかった」と言って行ってくれたんだよね。
マリ)それで分かるタクシーもすごいですよね。(笑)
原田)
ははは〜そんな感じでしたね〜
そのあと、一晩開けてどうしたらいいのか分からなくて、町にとりあえず出て歩いていたら、急に角からガチャンとドアが開いてパンベリーのマネージャーが出ていきたんだよね「よしー」(原田さんの名前)とか言いながら。(笑)
「何やっているの?」と聞いたら
「ここはパントリンバゴだ」(国営のスティールパン協会Pan Trinbago)
と言われて偶然会えたんだよね
そんなミラクルな出会いで、パンベリーで参加させてもらえたんですよね。
まり)なぜトリニダードに行き、パノラマに参加するという流れになったのですか?
原田)以前、パンベリーが日本に来日した時にパノラマがあることを知って、「パノラマって出られるの?」とパンベリーの関係者に聞いたら、「出られるよ」って言われて「じゃぁ俺出たい」って話して、いいよいいよって言われてトリニダードに行ったんだよね。それで、途方に暮れていたけど、運命的に連絡をしていた人に会えたんだよね。
〜その後、トリニダードで有名になりすぎてしまった〜
その後、96年97年98年にトリニダードに行って、その後一回行くのを辞めたんだよね。実はさ、現地ですごく有名になっちゃって(笑)理由は派手に立ち回っていて、目立ちすぎちゃったんだよね。
色々な事件に合うようになっていってしまって、脅迫や泥棒にあったり、人に利用されたり、、調子に乗りすぎたなと思ったよ。
そういったこともあって、一回トリニダードを断ち切って自分の音楽を作ろうと思ったんですよ。
98年にトリニダードに行くのを辞めたと同時期に、たくさんの友達に声をかけて、できたのがパノラマスティールオーケストラなんだよね。
マリ)それで、スティールパンの輪が大きくなっていったんですね。
原田)うんうん。自分は全く大きくしたくて、という考えとかではなく、自分がパノラマみたいに、一緒にスティールパンを楽しめる団体を作りたかっただけなんだよね。
〜現地からの突然の連絡で2015年のトリニダード・トバゴで開催された世界大会〜
98年以降は、その後はずっとトリニダードに行ってなかったけど、
2015年にトリニダードでスティールパンの世界大会をやるからでない?と2013年に連絡が入って、それを受けて、またトリニダードに久しぶりに戻ることになったんだよね。
すごくみんなよくしてくれてあの時の変な日本人だって、いまだに覚えていてくれた人もいたよ。
演奏の方も、自分たちの順番が終わって、現地の人にパノラマスティールオーケストラの演奏が衝撃的だったみたいでさ、次のチームの演奏が終わっても、「ところで、さっきの日本のチームだけど」とテレビの実況でもずっと、自分たちのパノラマスティールオーケストラの話で持ちきりだったよ。ははは〜
〜スティールパンの楽しみ方はまずは触ってみること〜
原田)一人でも、みんなでも、楽しめるのがスティールパンかな。 時々ワークショップをやっているけど、初心者と中級者に分けるんだけど、スティールパンは叩くとすぐ音出て楽しめちゃうみたいで、一人でも音が綺麗だから楽しいけど、大人数だとめちゃくちゃ楽しいしね。すぐに音が出るから初心者でも楽しめる楽器なんだよね。
まり)どのスティールパンがオススメですか?
原田)それは、全部いいけど、車ないと難しい楽器だから、持ち運びを考えるとテナーパンがいいのかなと思いますよ
まり)大きなドラムを5個くらい周りに置いて、ジャンプしながら叩くスティールパンがあるじゃないですか?
私は個人的にはそれをジャンプしながらやってみたいです。(笑)
原田)いいね〜。楽しと思いよ。パンは音が低いほどいいからね。
郷愁のあるスティールパン
原田)スティールパンの音を聞くだけで、日本人が特徴的なところがあって、郷愁をみるみたいなんだよね。
叩いていると、これは何の音?とかおばあちゃんに聞かれたり、何か昔を思い出すような切なくなる音みたいなんだよね。
少し、ブラジル人に近いのかな?ほら、ブラジルでも切ない音楽を「サウダージ」とか言うじゃない。
まり)はい。なんかわかる気がします。スティールパンって本当に一般の人でも知っている人多いですし、癒されますよね。私がやってるSOCAはスティールパンの進化したものも入っているのに、好きな人が偏っていますが。ははは〜
原田)ははは〜そうだよねー。でもSOCAはカーニバル音楽でリズミカルな
ものだから、それって肉体的からくるものだからだろうしね。 人種的に体の中にそのリスミカルな感覚が日本人は少ないから、SOCAは全員に受け入れられにくいのかもね。
スティールパンは音色で惹きつける、パンだとメロディだからね。
今後のスティールパンの方向は?
まり)10年前と今とで現地のパノラマに行く人もすごく日本人で増えたじゃないですか?日本全国色々なパンの団体もありますし、私も全部把握できていないくらいですが、そういった日本の状況も見てどう今後変わって行って欲しいとかありますか?
原田)どうだろうなー・・・・
パンをやるのは全然良いんだけど、楽器を作る人がいなくてね。すごく上手にできる職人がいたんだけど、やめちゃってね。そこが変わっていけたらなと思っています。
チューニングも、現地の人を招いたりしてチューニングしてもらったり日本でメンテナンスするのも日本だと25000円とかするから、作り手が必要だよね。
パンで音楽作りたい人はいっぱいいるからさ、音楽を産み出す点では心配はないんだけどね。
〜俺が目指すのはアジアでのパンミュージックの変化〜
原田)カフォーンっていう楽器あるじゃない?ペルー発祥の楽器なんだけどさ、それがスペインに渡ってフラメンコの楽器になったんだけどさ、それと一緒でスティールパンも面白い可能性があるかなと思っていて、スティールパンをアジアに広めてさ、全く別の楽器として使うことになるかもしれないじゃない? 俺はそれを狙っているんだよね。
まり)面白いですね。アジアのどこかでご飯食べる器になってるかもしれないですしね。どうなるかわからないですよね。(笑)
原田)アジア人って、さっきの郷愁の話じゃないけどさ、そこに思入れがあったり、独特なエスニックな感覚があるから、パンを違った独特な形で進化させるのではないかなって思っているよ。
パノラマスティールオーケストラで2013年にトリニダードで開催された世界大会で驚かれたんだよね。
「こんな音楽があるのか?!」ってね。
もう、全然違うからさ、他のバンドと。
小笠原の民謡とかもパノラマスティールオーケストラでやってるからさ、それをヤードで(パンヤード)やったらトリニダードの人が、ものすっごく喜んでいたよ。聞いたことないって。
だから、アジア大会とかできたら楽しいよね。アジア地区でもコミュニティはあるみたいだからね。今後盛んになって行くと思いますよ。
今後音楽で活躍して人たちにメッセージ
「自分の心の中の小さな嘘を絶対に見逃すな」
何かごまかすことがあるから、見て見ぬふりをしないこと。心の中の小さな声を押しつぶすな。音楽に限らず表現者みんなに言えることですけどね。
音楽って、縦に繋がれるから、それは音楽をやっている人は忘れないこと。先輩後輩もそうだけど、聞けば今ここでバッハを聞いたらバッハが蘇るわけだから、それぐらいすごいんだよね。音楽って、全てはイマココにあるからね。
終わりに、
原田さんのインタビューを通して、原田さんは音楽が大好きで、人生をいつも楽しんでいらっしゃる素敵な方だなと改めて感じました。コロナ渦ということもあり、なかなかライブや外出などできませんが、スティールパンのCDやyotubeなど音楽を聴きながらラムなどを飲んでカリブ海を感じてみてください♪
writer by Mari Torochacha
Photo by Harada Yoshihiro
website HaradaYoshihiro https://yoshihiroharada.wixsite.com/home
Panorama steel Orchestra http://panorama-so.org
Comments